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国旗、校旗、社旗、大漁旗など、旗は集団のシンボルといった意味あいをもっています。戦国時代にも「風林火山」の旗を掲げて戦に臨んだのは武田信玄でした。辞書によると、旗には仏や菩薩の威徳を示す荘厳具(しょうごんぐ)(=仏像、仏堂を飾る仏具)の意味もあります。これはもともとサンスクリット語のPatakaを語源とした言葉です。これが旗の起源であるならば、かなり古い歴史を誇っています。
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旗染業というのは、染色業の一種で、友禅染め、引き染め(手染め)、プリントの3種類に大きく分けられます。そして、実際に旗染業が染めているものには、いわゆる旗のほかに、幟(のぼり)、風呂敷、暖簾(のれん)、幕、手拭、半纒(はんてん)、ちょっと変わったところでは相撲の化粧廻しなどがあります。これらは、基本的には四角い布に模様や文字を描きこんだ、同じようなものです。そうなると、旗染業も染色業も同じかといえばそうではありません。大量に作られる旗もありますが、集団のシンボルや優勝旗のように、1本だけしか作られない場合がよくあります。そうした旗を作るのに、機械化は経済的にも能率的にもかえって非効率です。現在、名古屋市内には約28軒の旗染業がありますが、そのうちの約4分の1近くが機械に頼らず、全くの手染めを行っています。 |
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愛知岐阜三重静岡旗染業組合連合会が設立されたのは昭和37年、それまでも任意の団体として組合はあったようですが、詳しいことは分かっていません。戦争中は出征兵士を送り出すときに振る旗などの需要がありましたが、敗戦により物資は極端に不足し、経済的にも旗を作るほどの余裕がある家や団体もありませんでした。戦後、広小路などで軒を並べた屋台から、店の廻りを囲む幕や暖簾の注文が入り、旗染の需要が徐々に回復してきました。ただ、生地は手に入らないので、いわゆる闇市場などからも苦労して入手したようです。昭和25年、愛知県で国民総合体育大会が開かれたころから、旗染業も昔日の面影を取り戻します。 |
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手づくりだからこそ可能な多品種少量への対応 |
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しかし、旗染業はもともとが機械化にはあまり適さず、小さな企業が多いのが実情です。そこで、お互いの技術の向上や価格交渉で不利にならないようにと、4県で連携して連合組合が結成されたようです。コンピュータが一般家庭の中にまで入り込んでいる現代、一枚一枚を手で染め上げる作業は時代から取り残されている、という人もいるようですが、機械化ができず、業者の数が少ないため、全国からファックスや電子メールなどを使い、注文をするお客が増えています。 |
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