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名古屋瓦商工組合

 

庶民の家が瓦葺きになったのは江戸時代

 
 最近は各地で町並保存が盛んです。それらの町並は基本的にモノトーンの世界で構成されています。その中では、屋根の色や形も重要な要素となっています。日差しを浴びて、鈍色(にびいろ)に光る甍(いらか)が続く光景は心を落ち着かせてくれそうです。
 ところで、瓦は古くから使われてきましたが、一般の住宅にまで瓦が使われるようになったのは江戸時代からです。都市の住まいは上流階級を除いて板葺屋根が普通でしたが、火災が起きたときに類焼しやすいということで瓦を使うことが奨励されたのです。それも都市部に限り、明治になっても、農村部では藁葺屋根が普通でした。
 

運搬業としての役割も大きかった「瓦屋」

 
 名古屋では、高浜、碧南を中心とした三州陶器瓦の産地を控え、昔から三州瓦が使われてきました。瓦は重量のある商品です。そこで三州から船に乗せ、堀川や新堀川を通って運ばれてきました。かつてこれらの運河沿いには瓦屋の倉庫がたくさん軒を並べていました。瓦屋は運搬業的な役割も持っていたのです。
 組合の歴史も古く、明治の後期には名古屋瓦商組合としてすでに作られていたようです。ただし、当時は瓦屋といっても瓦問屋が中心でした。実際の施工を請け負うのは「ひよ方」と呼ばれる基礎や足場作りなど、建築工事全体の段取りをとるのを主な仕事とする人でした。そのひよ方が瓦葺職人を手配したのです。
 しかし、戦後になると「ひよ方」を通さずに瓦問屋と瓦葺職人が施工まで請け負うようになってきます。瓦の運搬に大きな役割を果たしていた船便に代わり、トラックによる陸上輸送が主流となったからです。こうなると、瓦を産地から施工現場まで直接運ぶことができるようになり、本来の問屋の機能は薄れ、問屋と瓦葺職人との間にあった仕事の区分がなくなったのです。
 名古屋瓦商工組合には、次第に瓦の販売を中心とした業者、施工を中心とした業者、そして瓦の製造を中心とした業者も加わって構成されるようになってきます。そして昭和50年頃に愛知県屋根工事連盟が作られ、名古屋瓦商工組合の会員も加入します。
 
見直される美しい瓦屋根の住まい
 

種類も非常に多くなった日本の瓦

 
 昔は瓦を葺くとき屋根板の上に杉皮を敷き、そこへ泥土を載せて瓦との接着に使用していました。しかし、最近は釘で打ちつけて留める工法が主流となってきました。瓦の種類も増えて、昭和の終わりごろからは平板瓦が使われるようになってきました。
 ハウスメーカーが作る住宅には洋風の住まいも多く、その場合にはカラーベストが使われることが多いのですが、カラーベストより重厚感を出すために、平板瓦の使用が増えたのです。瓦屋根は時代を超えて日本の住まいに合った建築材料のようです。
 

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