|
 |
|
 |
| |
|
| |
|
|
職業を表わす言葉にはいろいろありますが、「左官」という言葉にはちょっと不思議な響きが感じられます。官はもともと役所を表す言葉だからです。左官は歴史の古い職業です。左官があれば当然「右官」があってもいいはずです。「左」という文字には仕事を表わす「工」が使われています。「右」の文字の中には「口」が使われています。つまり、いまでいう技能職が左官であり、事務職が右官であったのです。
左官の由来として、西暦645年、天皇の住まいの外郭に堅牢な土塀を作るように命じられた許勢眞壁連(こぜまかべむらじ)の孫波多哀(はたお)という人物が、美しく堅固な壁を作り、天皇から左官の称号を賜わったとされています。
|
| |
|
|
組合が結成される動機となったのは、明治24年に起きた濃尾地震でした。名古屋市内をはじめ、近郊の家々は大きな被害を受け、当然左官も復旧工事に活躍します。同時に同業者間の連携の必要性を痛感しました。そして地域ごとに単独の組合が作られました。昭和7年になるとそれまでの単独組合が統合されて相互の親睦と新しい資材、施工法に関する知識の交換、標準賃金の協定などを目的として、名古屋左官組合となりました。そして戦時中の統制組合の時代を経て、昭和37年に現在の愛知県左官業協同組合となりました。
|
| |
快適で健康的な住まいづくりにもっと見直したい土壁 |
 |
|
| |
|
| |
平安時代の寝殿造りなどは、柱はあっても土壁はほとんど見られません。土壁は寺院や土塀など、一部で使われていただけです。平安末期から鎌倉にかけて、土壁工法の基礎が徐々に確立され、室町時代末期からの茶の湯の流行による茶室建築が現在の在来工法に見られる日本家屋の土壁を発達させました。明治になると新しくレンガやセメントが輸入されます。ここで左官はさらに新しい技術を生みだします。小粒の石とセメントを混ぜて壁に塗り、表面のセメントだけを洗い流す「洗い出し」、角張った石とセメントを混ぜて塗り、表面を削って磨くことによって大理石のような床や壁を作り出す「研ぎ出し」といった工法です。
昭和49年の石油ショックまでは、住宅に土壁が使われるのが一般的でしたが、その後、日本経済の高度成長とともに工事の簡略化、スピードアップが求められ、各メーカーは競って石膏ボード、石膏中塗材料、繊維壁上塗材料等を研究開発し、土壁の住まいは減少しました。
その一方、最近は新建材のシックハウス症候群が社会的な問題となり、有害な化学物質を分解し、室温を一定に保ち、しかも丈夫で、解体した後は元の土に帰るため廃棄物問題も起こらない土壁が少しずつ見直されています。組合としては、こうした土壁工法をホームページで全国的にPRする予定です。
|
| |