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名古屋畳商工業協同組合

 

「たたむ」が畳の語源

 
 日本の住まいを代表するのが、畳敷の部屋です。畳は日本独自の床材ですが、現在のような畳がいつから作られるようになったのか、はっきりした資料は残されていないようです。ただ、畳の語源は「たたむ」だといわれています。でも、どうすれば、あのぶ厚い畳をたたむことができるのでしょうか。じつは、この場合の畳は、畳表をさしています。奈良時代のころは、木製の台にマコモで編んだムシロを5〜6枚重ね、その上に畳表を敷いていたようです。つまり、敷物のようなもので、使わないときはたたんでしまっていました。それが、鎌倉時代から室町時代にかけて、現在のようにワラで作られた床材の上に畳表を縫い付けたものが作られるようになりました。
 

地域によって違う畳のサイズ

 
 畳表となるイ草は、刈り取られ、乾燥し、泥で染められます。新しい畳独特の青い色や香は、実はイ草本来のものではなく、泥で染めることによって作られるのです。さらに織機で畳表に加工されますが、ここまでの工程はイ草の生産農家が行います。ワラ床に畳表を縫合わせ、縁(へり)をつける作業は畳屋さんの仕事になります。
 畳は地域によってサイズが違います。名古屋では三六(さぶろく)間、中京間というものが使われ、これより大きいのが関西から九州で使われる本間(ほんけん)間、あるいは京間と呼ばれるサイズです。関東は五八(ごはち)間あるいは田舎間と呼ばれる小さなサイズが使われます。最近では、さらに小さな団地間も使われています。
 ワラ床も最近は入手が困難となり、発泡スチロールを両側からボードで挟み込んだものが使われています。重量は軽くなりましたが、縫うときの力が余分に要るようになりました。とはいえ、いまでは寸法取り、裁断、縫いは機械で行われています。昭和34年の伊勢湾台風で、被災家屋の復旧のため畳の需要がはね上がり、機械を導入しなければ需要に応えきれなかったのです。
 
住まいに優しさと寛ぎを与えてくれる畳
 

日本の文化としての畳を守る

 
 名古屋畳商工業協同組合が設立されたのは昭和24年9月でした。個人経営のところが多く、資金繰りが困難な畳屋さんに、金融機関から融資をしてもらうのが大切な仕事でした。その後、機械化が進む中で、畳製造の技術を守ることが組合の重要な役割となっていきました。
 また、小規模経営のところが多いため大きな仕事を直接請け負うことが難しく、下請けしかできない場合もありました。そこで昭和50年ごろから、労働大臣認定の一級技能士の資格取得を進め、直接請けられる仕事を増やすようにしてきました。また、一級技能士の資格認定によって、品質管理認定工場としての指定も受けられるようにして仕事を確保しています。
 組合設立時に比べ、組合員数は約半減しました。それだけ畳の入れ替えや張り替えの需要が減ったということです。機械化が進み、需要が減っても、日本の文化である畳を製造技術とともに、組合として守っていきます。
 

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