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建築物を見ると、日本が木の文化であるのに対し、西洋は石の文化です。では、日本における石の文化は新しいのかといえば、決してそうではありません。飛鳥時代の遺跡からも分かるように、日本にも数多くの石造物が残されています。石は木よりもはるかに固く、加工も容易ではありません。また、日本は木に恵まれていました。一方、石造物は半永久的で、後々まで確実に残る可能性をもっています。墓碑に石が使われるようになったのは、例え肉体は滅びても、魂やその人が存在した証だけは永久にとどめておきたいという気持ちの表れなのかもしれません。
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石の加工は簡単ではありません。とくに「ノミ」で細かな文字を彫る技術は、長年の経験を必要としました。墓碑の本体も、大小の石を正確に削り、それを組み合わせて作ります。そのためには、寸法を正確に割り出さなければなりません。そんな理由からか、あるいは歴史的な事柄から来ているのかは定かではありませんが、昔は石工が集まるときには正装をして、差し金を作ったとされる聖徳太子が描かれた掛軸にお参りしてから会合を始めたということです。
名古屋石製品工業協同組合は、すでに大正時代には「熱田石匠組合」として設立されていました。このとき、組合名に名古屋を代表する「名古屋城」か「熱田神宮」のどちらかの名称をつけようということになり、神代の昔からあるということで熱田の名前をつけたのです。その約2年後、名古屋の東南に当たる八事に霊園が作られ、そこに石材加工の業者が集まり「八事組合」が作られ、後に「東南石匠組合」となりました。また、明治37年には覚王山日泰寺が創建されましたが、ここで仕事をしていた人や、これらの組合などが集まり、昭和61年に現在の法人組織としての名古屋石製品工業協同組合となったのです。
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石工の技で、石に彫り込む永遠の命 |
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墓碑に彫られる文字も、いまではかなり機械化が進んでいます。墓碑として使われる石は、硬くて磨くときれいな花崗岩が大半です。いまではノミに代わり、石の上に分厚いゴムの板を切り抜いて作った文字を貼りつけ、カーボランダム(金剛砂)を勢いよく吹き付けます。
墓碑といえば、いまでも縦長のものが大半を占めてはいますが、最近は個性的なものも作られるようになりました。よく見かけるのが、洋型といわれる横型の墓碑です。また、数的にはわずかですが、写真入りや球体、ピラミッド型といったものもあるようです。それも生前に作ることによって、この世で生きた証を自分自身で確かめておくといった人もいます。墓碑も最近は安価な外国製品が出回るようになってきました。組合としても、これまで以上にオリジナルなニーズに応えることによって、その人の個性を永遠に残すことができる墓碑づくりに取り組んでいくことにしています。
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