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名古屋東部造園組合は、主に名古屋市の天白区、緑区を中心とした業者で結成されています。この地域は、かつてリンゴ、モモ、ナシといった果樹の栽培が盛んでした。当然、剪定(せんてい)作業には腕に覚えがありました。そこで、農閑期を利用して、副業的な形で庭木の手入れの仕事が始められました。ところが、昭和34年の伊勢湾台風で果樹園は大打撃を受けてしまいます。この頃を境にして、それまで副業的な仕事であった造園業に本格的に取り組み人が増えてきたのです。
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伊勢湾台風がこの地方を襲った昭和34年頃は、日本が高度経済成長をしていた時期です。それまでは、庭木の手入れをする人はかなりの資産家や企業経営者などに限られていました。しかし、そのころから国民の暮らしが豊かになり、庭付きの住まいを建てたり、庭に手をかける人が増加していきました。農村でも、区画整理や農業の機械化によって、農作業のためのスペースであった部分に木を植え、庭として整える農家が増えてきました。
そのため、40年代には造園業者が生まれてきました。組合が設立されたのも昭和49年と比較的最近のことです。そのころは、庭といえば、形よく剪定された松の本数でその価値が決まるともいってもいいくらい松が主役でした。そして灯籠、四つ目垣、蹲踞(つくばい)、飛び石などを配置し、池を掘るという伝統的な日本の庭が作られていました。
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伝統的作庭術から時代のニーズを取り入れた庭づくりへ |
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庭の起源は、神々の遊ぶ場をこの世に具現化したものだといわれ、日本で独自の庭園が作られるようになったのは、平安時代になってからです。そして、時代とともに様々な庭が作られてきました。
枯山水の庭や大名屋敷の庭園など、形式は異なっていても、日本の庭には自然の風景を描写しているという共通点がみられました。やがて明治になると、西洋の影響を受けた庭が出現します。しかし、戦後になって作られるようになった個人の庭は従来からの日本庭園の形式を踏襲していました。
それが、最近になって生活スタイルの洋風化により、かなり変化をしています。新しく作られる庭には松のないところが増えています。灯籠や庭石もあまり使われなくなっています。形よく剪定した木よりも、山で自然に育った雑木をそのまま植えるケースも増えています。なによりも変化したのは、眺める庭から家族とのコミュニケーションや遊びのできる空間として庭が捉えられるようになったことです。
こうした時代の新しい流れに対し、組合としても情報の交換などを行い、ニーズに合った庭づくりに取り組んでいます。
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