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一般に、日本人は宗教心が薄いといわれています。ところが、1年を通してみると、暮しの様々な場面に宗教的なものが取り入れられています。正月は神社へ初詣に出かけ、家を建てるときは地鎮祭を行います。しかも、現代的なビルやハイテクを駆使して作られる大土木工事のときにも行われています。神社での入学祈願、神前での結婚式もごく当り前に行われています。仏壇と神棚の両方を備えている家に違和感を感じる人もいません。
日本の神様は、宗教というよりは生活のリズムとして暮らしの中に溶け込んでいるようです。日本では仏教が伝来して以来、両者は溶け合っていました。お寺と神社が同じ境内にあるのはごく普通でした。それが江戸末期の国学者、平田篤胤が復古神道を論じ、明治政府が神仏分離策をとり、いまではほとんど完全に分離しています。 |
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お寺や仏壇の中には仏像がありますが、神社や神棚の中には擬人化された神様はいません。神棚の扉を開けたとしても、せいぜいお札が納めてあるぐらいです。暮しの中のリズムになっていながら、神様をとらえにくいのは、そんな理由があるのかもしれません。
神棚製造といっても、内祭と外祭の2つがあります。内祭とは一般の家庭に祀ってある神棚で、外祭とは、神社にある小さな社のことです。名古屋神棚製造組合は、最初は内祭を専門とする人たちの組合でした。戦前から、組合として何らかの流れはあったようですが、いまでは詳しいことは分かりません。
現在の組合は昭和20年代になって作られたようです。当時は約20社ほどが集まっていたようですが、現在の組合員は5社だけです。
神棚は、年末と旧正月を中心に需要が起きる季節商品的要素がありました。そのため、宮大工、木工製品を作る人が副業的に行っている面があったのです。実際、戦前は宮大工のほか、金網付きの食器棚、すし箱、風呂用腰掛けを作る人も神棚製造に携わっていたようです。 |
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木曾のヒノキによって育てられた名古屋の神棚 |
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名古屋は、木曽川上流で採れる良質な木曽のヒノキが、堀川という水運によって運び込まれ、様々な木工製品の産地となりました。神棚もそんな木工製品の一つだったのです。内祭用の神棚の形態は、仏壇ほどにはこだわりがありませんが、細かな部分の仕上げはほとんど手作業です。ここでも人件費の増大が大きな問題となり、最近は海外生産されたものも増えています。そのため、国内での後継者の育成がこれからの課題となっています。
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