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名古屋は三河とともに、仏壇づくりの産地として知られています。名古屋で仏壇づくりが盛んになったのは、江戸時代からです。理由の一つとして、木曽の良質なヒノキを材料として、絢爛豪華な仏壇が作られたことがあげられます。とくに中区の東西両本願寺にはさまれた地域には、仏壇の製造業者、販売業者が数多く存在するようになり、江戸時代末期には、仏壇製造が下級武士の内職として広く行われていました。
名古屋仏壇は他の産地にはない特徴がいろいろと備わっています。例えば、かつて濃尾平野をたびたび襲った水害に対処できるよう、仏壇の台を高くし、全体を4段階に分けて運搬しやすい構造にしてあったり、上部の欄間が3つに分かれ、1本長押(なげし)が付けられていること、また、下部の仏具などを入れる部分が三まくりとなっていることなどです。
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仏壇製造は、組合の名称からも分かるように、大きく八つの製造工程から成り立っています。木地、荘巌(しょうぐん)または宮殿(くうでん)、彫刻、塗装、呂色(ろいろ)、金具(内金具、外金具)、蒔絵、箔押、最後に組立で仕上がります。
歴史にある職業だけに、明治8年には「名古屋仏壇商組合」が設立されたという記録が残っています。その後、仏壇製造に係わる人を中心とした組合と、販売に係わる人を中心とした組合が作られていきます。
仏壇八職組合は製造を中心とした人たちの組合です。第二次世界大戦中は仏壇製造に欠かせない金箔や漆などの配給の手当を行ったりしました。昭和39年、それまであった組合が解散し、中小企業協同組合法によって、新たに「名古屋仏壇商協同組合」が創立されます。さらに同45年には「名古屋仏壇商工協同組合」が発足します。 |
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伝統工芸品としての価値を次代へと引き継ぐ努力 |
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名古屋仏壇は、昭和51年に通産省による「伝統的工芸品」に指定されます。これを機会に、さらに技術を向上させる活動を活発に行うようになりました。
仏壇は八職のうち一つでも欠けると伝統工芸にはなりません。例えば、材料にプラスチック製品のようなものを使った箇所が一つでもあれば、いくら他の部分が伝統的技法で作られていたとしても、伝統工芸とはいえなくなってしまうのです。
もちろん、八職すべてが高い技術を発揮しなければなりません。八職のどの技術も、比較的簡単な工程であったとしても一人前になるまでに、最低でも10年は修行しなければなりません。そして一般的な仏壇であっても、木地から始まり、組み立てられるまでに半年はかかります。八職の中にも、後継者に比較的恵まれている職もあれば、恵まれていない職もあります。八職のうち一つでも欠けるようなことがあってはならないのです。
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