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古新聞の上にただ広げられた絵と、美しく表装された絵。仮に全く同じ絵であったとしても、表装された絵の方に、より高い評価が集まるはずです。表装とは絵や書の価値を、より高める仕事だといえます。表装はもともとは中国において貴重な経文(きょうもん)を修復する技術として生まれ、日本へは奈良時代に伝えられたとされています。そのため、表装の技術は寺の多い京都で発達しました。そうした名残りなのか、いまでも関東では表具師のことを経師(きょうじ)屋と呼んでいます。
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平安時代になると、経文修復だけでなく、絵巻物を装飾するようになりました。同時に屏風(びょうぶ)、襖(ふすま)、障子などの様式も確立され、やがて千利休が茶室の掛軸の好み寸法などを作り、茶の道を開き完成しました。この頃から表具師の仕事は掛軸の製作を中心としたものとなり、それが江戸時代に定着します。
明治以降は、さらに日本画の隆盛によって、表具師の仕事も屏風、美術襖など幅を広げていきました。戦後は、日本画が額縁に入れられるようになったり、あるいは床の間のないマンションの増加などにより、表具師の仕事にインテリア的な要素も加わってきました。仕事の幅が広がることによって、表具師の扱う作品によって、専門化も進みました。 |
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自らの技術とともに貴重な文化財も守る |
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ところで、表装の仕事はもともとが貴重な絵画や書の修復や価値を高めるとともに、表装によってそれらを保存するという重要な面を持っています。名古屋表装文化協会は、表具師の仕事の幅が広がり過ぎたため、表装の本来の仕事をする人たちが昭和47年に表具組合から独立する形で設立されました。
表具師の組合は明治44年には作られていたようですが、どのような目的で作られ、どんな活動を行っていたのかは、はっきりとは分かってはいません。ただ、名古屋表装文化協会が毎年1回、表装の展覧会として開催している「表展」は平成13年で72回を迎えています。戦争中は一時中断を余儀なくされたといいますから、第1回の「表展」が開催されたのは大正の頃であったと推察されます。明治の末に設立された組合も、こうした文化活動を中心にしたものであったのかもしれません。
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現在、協会は後継者の養成に力を入れています。表装の技術は、日本の文化を守るためには、なくてはならない仕事だからです。各地の博物館や美術館に収蔵されている貴重な絵画や書は、長い年月の間には必ず修復の必要が出てくるからです。表装の技術がすたれることは、こうした文化財の消失にもつながりかねません。そのために、美術関係者などとの交流も行っています。
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