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愛知県人形玩具工業協同組合

 

大正から昭和にかけて流行した文化人形

 
 子供たちが大事そうに抱いて遊ぶ人形は、その子供にとっては大切な分身です。御所人形、市松人形、雛人形などの人形は江戸時代に大きく発達したといわれています。ただ、それらの人形は飾るためのものであり、美術品的な意味を強くもっていたようです。
 明治時代になると、西洋の人形が日本に輸入されるようになります。明治15年頃にはドイツからゴムまりが輸入され、ゴム製の人形も作られるようになっていきます。
 大正の始めごろ、5〜6歳の子供が背負って遊び、しかも手足を付けていないのでそのまま枕にもなるという「枕人形」が流行します。この人形は、木を薄く細かく切った「木毛(もくめん)」やモミガラなどを、人絹(じんけん)やチリメンの中に詰めて作られました。
 人形には、陶器製のものから雛人形のような頭部と胴に着物を着せたものなどがあります。枕人形やぬいぐるみのように、布の中に詰め物をして作られた人形を布帛(ふはく)人形と呼んでいます。戦前には、枕人形に手足を付けた「文化人形」がもてはやされました。
 

布帛人形の代表は文化人形とフランス人形

 
 戦争中はほとんどの物資が統制品となりました。自由に使えたのは木材だけでした。木製の玩具を除き、製造は困難となってしまいました。戦後になっても物不足の時代はしばらく続きます。戦争で使われたパラシュートの残りで作られた布帛人形もありました。なかには缶詰の空き缶を利用して作られた自動車のおもちゃもありました。
 布帛人形の材料は戦後になってもかなり長い間統制されていましたが、日本に駐留したアメリカ兵の間で人気となり、統制外であった人絹布や進駐軍へのお土産の人形づくりのための材料の配給がありました。戦後しばらくは、人形といえば文化人形が中心でした。
 そうした中で昭和29年に名古屋市布帛玩具連合会が結成されます。さらに、連合会の中に文化部とフランス部が作られました。これはそれぞれ文化人形とフランス人形を作る会社ごとに分けたものです。つまり、当時は人形といえば、この二つが中心であったのです。
 
布の感触を通して
体で覚える人形とのふれあい
 

デザインは日本、生産は中国

 
 現在の組合が設立されたのは昭和38年です。資材の共同購入や組合員への資金融資を主な目的としていました。組合設立時には66社だった組合員は現在では15社に減少しています。その一番の理由は、テレビゲームの浸透で従来からのおもちゃの需要が減ったこと、そして人形玩具の生産拠点が中国へとシフトしたことなどです。ただし、人形のデザインはいまでも日本で行っています。
 キーボードを打つことも遊びですが、人形のようにだっこして遊ぶことはできません。遊びとは、頭の中だけで考えることではなく、体全体を使うことです。もう一度、人形を見直してもいいのではないでしょうか。
 

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