|
 |
|
 |
| |
|
| |
|
|
誰もが必ず持っていて普段からよく使いますが、使い方を誤ると、とんでもないことにもなりかねない「はんこ」。呼び方も印鑑、はんこ、印章などいろいろありますが、実は印鑑というのは「はんこ」で写された印影のことをいうのです。「はんこ」は、版工屋が語源だともいわれています。版工とは「かわら版」や「浮世絵」などの木版を彫る人です。
「はんこ」そのものの歴史は相当に古く、世界4大文明の一つに数えられているメソポタミアで、商取引のために使われていました。やがて中国を経由して日本にもたらされます。
|
| |
|
|
日本で実用的な「はんこ」が使われ出したのは、大化の改新の頃からだといわれています。しかし、使用するのは貴族、大名、大商人といった一部の人に限られていたようです。江戸時代になると、徐々に庶民の間でも「はんこ」が使われるようになっていきます。ただし、百姓の「はんこ」は庄屋や年寄などに預けられ、必要なときに庄屋や年寄の添印と一緒に使われました。
それが明治4年になると印影を庄屋や年寄に預け、本人は「はんこ」を持ち、その「はんこ」が本人のものであるかどうかを確認できるような制度が作られます。太政官布告によって明治6年10月1日から庶民にも実印の使用が義務付けられました。これを機会に、昭和42年から10月1日が「印章の日」となりました。
|
| |
手づくりでなければ
意味がなくなる仕事 |
 |
|
| |
|
| |
江戸時代から「はんこ」が使われていたといっても、現在に比べてはるかに需要は少なかったはずです。専門職としての印判師も京都、江戸に数えるほどしかいなかったと思われます。そのため「はんこ」づくりは木版業者が兼業していたようです。名古屋では明治8年に木版業者によって印章の組合が作られています。
印鑑は、重要書類などがその人本人のものであることを証明する唯一の証拠ともいえるものです。明治24年には愛知県令として「印判業取締規則」が公布され、これに伴い「名古屋印判業組合」が創立されました。その後、様々な変遷はありましたが、この流れが現在の組合に至っているのです。
いまでも「印相」をとやかく言う人がいます。この印相を最初にとなえたのは、実は名古屋の「印相研究者」で、昭和の初期のことでした。しかし、組合はこれを邪道として、否定しました。
「はんこ」づくりも機械化することは可能ですが、全く同一のものが作られたのでは「はんこ」としての意味はなくなるため、必ず手づくりの部分が必要となってきます。しかも「はんこ」づくりは実用的なものから「篆刻(てんこく)」のような芸術作品まで幅の広い分野なのです。
|
| |