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木靴をはいた聖徳太子の絵などもありますが、日本で靴が一般化するのは明治以降です。西洋文明の一つとして洋服とともに入ってきました。靴の製造を最初に手がけたのは、職を失った武士であったようです。そして、日本が近代化していく過程で西洋式の軍隊を組織していきますが、このときに用いられた軍靴が、その後の靴の発達につながりました。
組合も古くからありましたが、現在の協同組合として設立されたのは昭和20年代です。約50社が加入し、紳士靴の製造を中心に活躍していました。女性用の靴も作られていましたが、戦後しばらくは、女性が外出するのは日常的な買い物くらいで、履物も下駄や草履がほとんどでした。やがて女性の社会進出とともに、女性靴の需要は増大していきます。一方、手で縫い合わせたり、靴底を鋲(びょう)で打っていた製造方法は、昭和30年代になって強力な糊が使われるようになり、靴づくりが大きく変わりました。
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靴づくりの最初は、デザインに合わせた木型を発注するところから始まります。一つのデザインについて、サイズの異なる型を何通りも用意しなければなりません。
靴は実用性とともにファッション性が重視されます。紳士靴の場合は、基本の型はそれほど変わりませんが、女性靴の場合は流行が激しく変わります。そのため、大手メーカーは、工場ラインの変更が少ない紳士靴に生産の主流を置くようになっています。その結果、組合員の多くは、現在では女性靴の製造比率が高まっています。
靴のパーツは靴底と甲(アッパー)の部分とに大きく分かれます。そしてデザインに合わせて切り抜かれた皮をミシンで縫い合わせ、これを木型にはめて靴底を張り合わせます。靴底をつける作業といっても30もの工程から成り立っているため、大量生産品でもない限り、手作業に頼らざるを得なくなってきます。
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靴づくりは
ファッションと健康の両面から |
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現在、日本は世界75か国から年間4億足以上の履物を輸入しています。最近は安価な中国産の靴も大量に入っています。しかも国内では後継者不足が深刻になり、組合員も9社にまで減少しています。
靴はファッション性とともに、足にフィットしているかどうかによって、健康にも大きな影響を及ぼします。また、中小企業であるがゆえにファッション性の高いオリジナルなものや、障害者、高齢者向けの多品種少量生産の靴づくりも可能となってきます。さらにファッション全体の観点から靴を考えてもらえるように、若手デザイナーの養成や他のファッション関連との交流も図っていきます。
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