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時計、ライター、万年筆…、いずれもかつては貴重品の代名詞的存在でした。これらのうちごく一部には、いまも高級品として愛用されているものもありますが、それらは実用品というよりも、むしろステータスシンボル的なブランド品となっているようです。
名古屋では、明治の半ばから時計の生産が行われていました。かつて、この地方では祭りの山車(だし)などに、からくり人形が使われていましたが、そうした技術が時計の生産技術に応用されたことも時計の産地となった理由のようです。時計の生産が盛んになれば、販売や修理の店もたくさん生まれてきます。
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昭和22年2月、統制組合法によって作られた愛知県時計眼鏡小売統制組合が解散します。しかし、修理料金の改訂などを行うためには組合が必要となり、商業協同組合法に基づいて、1か月後には名古屋時計商協同組合が設立されます。また、戦後しばらくはさまざまなものが不足していました。米、味噌といった食糧品から時計のような高級品までが、配給となりました。時計の配給、共同仕入れといったことも、組合の重要な活動となっていました。
昭和20年代半ばになると日本経済もかなり回復し、多くの物資は市民の需要に応えられるようになってきますが、国産腕時計だけは深刻な品不足となっていました。当然、修理の需要も大きく伸びていきました。この頃、腕時計は必需品であると同時に、高級品でもあったのです。
昭和30年代になると、各メーカーごとの時計について、技術講習会が盛んに開催されます。6月10日の「時の記念日」にも、組合としてさまざまな行事を企画実行しました。組合員は約500店を数えるなど、この頃は組合の成長期でした。
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ものづくりの地域として発展した基礎を築く |
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昭和36年にはゼンマイ式の時計に替わり、電池式時計が出現します。さらに50年頃にはクォーツ(水晶)時計が広まります。まさに業界にとっては革命的な出来事でした。続いて現われたのがデジタル式の時計です。
時計の小売店は、販売と同時に時計の修理技術によって顧客の信頼を得てきました。言い換えれば、修理技術が売り上げの基本となっていたともいえます。ところが、使い捨ての時計が出回り、異業種でも簡単に時計の販売が行えるようになりました。加えて、いまでは携帯電話をはじめ、テレビやオーディオ機器などさまざまな電化製品にも時計が付いています。こうしたことも時計小売店の危機を招いています。
現在、組合に加入しているのは150店。業界としてどのような方向へ進むべきか、大きな転換期を迎えています。
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