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髪飾(花差(かんざ)し、クリップ、櫛)などは、大正時代から小間物屋系統で作られていましたが、その一方で、明治維新によって刀剣関係の製造の仕事がなくなった人たちが貴金属工芸に携わるようになりました。刀剣の刀飾や目抜を作っていた人が、地金の帯留や地金指輪を作るようになったのです。刀剣の職人さんたちが培った技術は、別の形で再び花開きました。大正から昭和初期にかけて、貴金属工芸品は本格的に作られるようになり、石の入った指輪などの装身具が全盛となりました。
このころから、貴金属工芸品の職人さんは装身具飾職(通称かざり屋さん)と呼ばれるようになりました。
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ところが、昭和10年代になると、徐々に戦争の足音が聞こえてきます。昭和15年7月には、絹織物、指輪、ネクタイなどを対象とした「奢侈品(しゃしひん)等製造販売制限規則」か公布されます。7月7日から実施されたので、「7・7禁令」と呼ばれました。貴金属工芸品は奢侈品ということで、作ることができなくなってしまいましたが、そのままでは、技能が失われてしまうということで、ごく限られた人にだけ製作が許されました。業界の多くの人は軍需工場で、精密加工の仕事に携わりました。
終戦になり、貴金属工芸品の製作は再開されましたが、日本人には、それらを購入するだけの余裕はありません。進駐軍の土産ものとして銀細工のパイプなどが作られました。金については、戦時立法の「金管理法」が生きていて、自由に購入ができず、配給制度がとられていました。そこで、地金の配給を得ることなどを目的にして、貴金属工芸品商工協同組合が設立されました。
昭和30年代に入って、金、白金、宝石の輸入使用が認められるようになり、新しくペンダントなど色々な宝飾品が創作され、今日につながる発展がありました。
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日本の伝統技術と
西欧の工芸品が融合 |
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現在は、主に技術の維持を目的にして活動をしています。非常に細かな作業で、一人前になるには、10年は修行しなければなりません。しかし、この仕事で一番大切なことはセンスです。ある程度量産が可能なものもありますが、貴金属工芸品を身につける人が求めるものは、自分の個性を引き出すことです。
この業界でも、最近は人件費の安い外国で作られたものが幅をきかせています。その一方で本物を求める消費者ニーズも強くなっています。そうしたニーズを的確につかむには、消費者との対話が大切です。また、装飾品は年齢や時代の流行によって、デザインが変化します。かといって簡単に買い換えるといった性質のものでもありません。リフォームをして、いかに長く楽しんでもらえるようにするのかも問われています。いいものを、年齢に応じたデザインに作り替えるといったことも、技術を維持していくために大切となっています。
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