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たった一枚の写真が、どんなに優れた文章よりも事実を正確に記録し、伝えてくれることがあります。写真が日本に入ってきたのは幕末でした。最初の頃は、写真を撮られると魂を抜き取られるといった迷信まで生まれましたが、やがて人々は人生の節目ごとに写真で自らの記録を残すようになりました。当時、写真撮影をするには高額な器材の購入と高度な現像技術が要求されました。そのため写真館を経営できたのは、ごく一部の限られた人でした。
カメラマンと呼ばれる職業は、報道写真から広告写真、芸術写真など大きな幅があります。そうした中で営業写真家といわれる人は、主として誕生から入学、成人式、結婚式など、人の一生を記録することを仕事としています。基本的にはスタジオ、結婚式場、学校といったところでの撮影が中心です。
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名古屋写真師会は、明治24年にはすでに存在していたという記録があります。戦後になって、昭和29年に名古屋写真師会が中心となって愛知県写真師連合会が設立され、昭和59年には協同組合愛知県営業写真家協会として出発することになりました。名古屋写真師会をそのまま存続させながら、同時に同会は協同組合愛知県営業写真家協会の愛知県名古屋支部としても活動を行うことになりました。そのころは、市内に営業写真館は70軒以上ありましたが、現在は41軒に減少しています。
営業写真館は、人生の節目を最高の状態で記録しようとします。そのため、ライティング器材がそろったスタジオ撮影が中心となり、足を運んでくれる人を待つ受け身の商売になりがちです。事実、日本がバブル経済の絶頂期を迎えるころまでは、ほぼ一貫して経営が安定していました。ところが少子化時代となり、しかも撮影のための高度な知識や器材がなくても、最近の写真機は簡単にきれいに写せるようになり、需要は落ち込んでいます。さらに、異業種からの参入も増えてきました。
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写真技術と同時に
カメラマンの感性を重視 |
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写真撮影でプロとアマチュアとの垣根が低くなったいま、写真館としての独自性をいかに出すかが課題となっています。例えば、貸衣装やスタイリストなどを使うといったことも一つの方法です。写真機の発達によって、単にきれいに撮影するだけならば誰にでもできるようになりました。写真を写すのは文章や絵を描くのと同じで、ファインダーを通して被写体の個性をいかに引き出すのかが重要です。人物写真ならば、その人の人格をいかにして写真で表現するかです。そのためには、写真技術といったハード面以上に、写真家の感性やスタジオでの演出といったソフト面が大切になっています。さらには写真機のデジタル化への対応も大きな課題となっています。
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