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愛知県広告美術業協同組合は、昭和32年に「愛知県広告看板業組合設立発起人会」を設立したところから始まります。そして翌33年、222社による任意団体として発足しました。昭和36年には、中小企業等協同組合法に基づき愛知県広告看板業協同組合として設立され、同37年に現在の愛知県広告美術業協同組合に名称を改めています。
屋外広告の基本は、やはり看板です。そして、看板といえばペンキ絵です。さらにペンキ絵の源流をたどれば銭湯に描かれている富士山に代表される絵と、映画館の看板に行き着きます。最初に銭湯の壁面に絵が描かれたのは大正元年(1912)だとされています。やがて、壁面の絵は全国の銭湯に広がり、ペンキ絵は銭湯に広告を掲示する会社がスポンサーとなって制作されました。
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ペンキ絵を描く人は絵師ともいわれたように、職人的な面と芸術家的な面を持っていました。そのため、広告看板業はかなりの歴史があるのですが、まとまった団体として組織化されたのは遅かったようです。
組合が設立されてからの活動は活発で、昭和34年暮れから翌年3月にかけて、第1回「模範屋外広告看板コンクール」を開催し、昭和61年度からは「屋外広告優秀作品展」に名称を変えて、現在まで続けられています。
昭和38年には、全国初の「事業所内共同職業訓練所」を愛知県の認定を受けて開設しています。その後「愛知広告美術高等職業訓練校」と名称を変更しましたが、訓練生の減少などにより平成8年に廃校となりました。
昭和56年から開催された「中央職業能力開発協会」などが主催する「1級技能士全国競技会(技能グランプリ)」にも、これまで多くの選手を派遣して優秀な成績を収めています。平成元年の「世界デザイン博覧会」には、組合としても積極的に参加しました。
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街を美しく、楽しく演出する屋外広告 |
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屋外広告も社会の変化に対応していく過程で様々に変化してきました。かつては絵筆1本あれば仕事ができましたが、現在ではディスプレイやビルの屋上・壁面に描かれた超大型の看板が増えています。ネオンサインや電車・バス・駅に掲示する「交通広告」も屋外広告のジャンルに入ります。特にビルの屋上・壁面の大型看板の制作は建設業に近いものがあり、当然作業は分業化されます。最近よく見かけるバスの車体全面に描かれた絵も、元になる写真を大きく引き伸ばし、畳1枚分位の大きさごとに分割印刷したものを貼りつけていくのです。
屋外広告は都市景観とも密接な関係を持つため、都市設計についての知識も必要とされます。絵筆1本の職人さんが減り、屋外広告の仕事はむしろデザイナーの領域となってきました。実際に、組合に加入している各社ともデザイナーが活躍しています。より美しく快適な街づくりには、若いデザイナーの活躍が期待されています。
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