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家族揃って食卓を囲む機会が減っている現代、家庭の味というものも何となく忘れられようとしています。惣菜屋のことを関西では「お番菜」と呼んでいます。つまり「番茶」や「番傘」の「番」と同じで、普段から使うもの、家庭で普通に食べる「おかず」といった意味です。
こうした職業は江戸時代からあったともいわれていますが、現在のような惣菜屋は大阪が元祖のようです。昭和の初めごろ、大阪で修行した人が、名古屋で始めたのが徐々に広がったといわれています。
当初は大八車に何種類かの惣菜を積み、引き売りをしていました。おかずといえば、やはり漬物は大きな比重を占めています。惣菜や煮豆に漬物も一緒に売り歩くようになりました。そして、昭和10年頃から、店舗での販売となっていきました。 |
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昭和14年、日華事変後の日本は不況に見まわれていました。業界としては各店の利益を擁護するために統制経済体制に即応することになり「煮豆、佃煮、漬物商業組合」を設立しました。昭和16年になると物資統制のため、配給機関としての役割を果たしました。戦争により組合員たちも大きな打撃を受けました。
しかし、昭和22年には「名古屋 煮豆、佃煮、漬物商工組合」を結成し、再出発をします。戦争に敗れた日本の食料事情は悪く、配給制度が採られていました。食材の配給を得るため、市内の多くの八百屋さん、乾物屋さんなども組合に参加し、その数は350社以上にも達しました。
現在の組合員は30社。そのほとんどが市場の中で製造し、対面販売しています。市場が開店する前に作り、その日のうちに売り切ることを基本としています。大手のメーカーが作ったものとは違い、それぞれの店独自の味付けがあり、家庭的な味付けになっていることが大きな特徴です。 |
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パックものにはない
一味違う庶民の味 |
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組合では、煮豆・惣菜の「品評会」を開き、味覚、視覚、価格、アイデアなどを審査し、東海農政局長賞、県知事賞、市長賞などを選出したり、講師を招いての経営指導や接客マナーなどについての「講演会」などを開催しています。さらに、各学区や保健所の人たちとの「消費者懇談会」などを行っています。
最近は衛生管理の面などから、浅漬けなどを袋詰めにして販売していますが、袋に詰めれば賞味期限などを明記しなければなりません。期限として表示されるのは、一番おいしい食べ頃の日にちですが、消費者は少しでも新しいものを購入しようとします。
家庭で惣菜を作ることが減りつつある現代では、本当の食べ頃についての知識も薄れつつあるようです。そうしたことの消費者PRも、組合としてのこれからの課題となっています。 |
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