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お米を原料としたお菓子といえば、すぐに思いつくのが「あられ」と「せんべい」です。あられはモチ米を原料にして作られたお菓子で、古くは平安時代に「あられモチ」「玉あられ」として食べられていたようです。一方、せんべいは必ずしも米を原料としているわけではなく、小麦粉が使われる場合が多いようです。せんべいは干菓子の一種で、千利休の弟子の幸兵衛という人がお茶受に工夫して作ったものが評判となり、彼を千の幸兵衛と呼ぶようになり、やがて千兵衛となり、それが菓子の名前になったという説もあります。しかし、実際は唐から伝えられたとされています。
どちらにしろ非常に古い歴史を持った菓子で、日本の伝統菓子となっています。お米を原料としたせんべいとあられの違いはといえば、原料がモチ米かウルチ米かの違いだけです。 |
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あられもせんべいも、昔から同じ製法で作られています。あられはモチを作った後、固めて適当な大きさに切り、乾燥させ焼いて醤油をつけます。せんべいの製法も同じですが、ウルチ米を使うため、蒸す前にある程度米をつぶしておきます。洗米やモチつきが機械化されたり、炭火がガスの火に変わるということはありますが、風味や香ばしさは人の感覚で作り出しています。また、海苔巻の工程は機械化が難しい分野です。
愛知県米菓工業協同組合が設立されたのは昭和24年。当時の日本は戦後の食料難の中にありました。米は政府によって統制され、一般家庭では配給米しか手に入れることはできなかったのです。しかも、戦時中の昭和17年には食糧管理法が制定されていました。米菓の製造は比較的簡単なため、多くの人が参入しました。しかし、個人では原料の米が入手できないため、組合には265軒もの業者が加入しました。食糧難の時代ですから、作れば右から左へと飛ぶように売れていきました。
しかし、食糧事情が改善され、食生活が豊かになるとともに、業者の数は減少していき、現在の組合員は18社となっています。 |
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平安時代にまでさかのぼる歴史ある伝統の菓子 |
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昭和48年、食糧庁は「餅米の契約栽培の実施について」という長官名の通達を出します。政府によって統制されていたお米が、この頃から徐々に自主流通ルートで流通し始めます。
組合が設立された一番の目的は、原料米の確保でした。しかし、お米の流通が自由となり、加えて食生活の多様化により、あられやせんべいも昔に比べて需要が減少しています。大がかりな設備が必ずしも必要ではないということは、小規模な企業が多いということにもなってきます。そのため、後継者不足などで廃業する企業も出ています。組合では、新しい需要喚起のために、公共の研究機関などを使い新商品の開発も行いたいと考えています。 |
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